読書設定
糸
本書が描くモシアハ — 人間である王であり、決して神格化されない。
24節
ここで数は、単なる象徴的推論であることをやめる。
ランバムは名高く、イェモット・ハモシアハをきわめて世俗的な言葉で描く。
いまや我々はこの句を十全に言い表しうる。
「モシアハの意識」という言い方は、トーラーから切り離されると危険になりうる。
興っては倒れる王国は、歴史的な七に属する。
ここには重要な帰結がある。
モシアハをあまりに宇宙的にして、その人間性を消してしまいたくなる誘惑がある。
贖われた意識はハシェムを中心とする。
それゆえ王妃の上昇を、宮廷の簒奪として思い描いてはならない。
ダビデの王権は月の象徴に従う。
いまや幾重にも入れ子になった型が見えてくる。
エルルはもう一つの有用な像を与える——野にいる王。
モシアハの顔を受け取るとは、ただ一人の人物を同定することではない。
贖いについて学ぶことが、なぜ贖いを早め、あるいはそれに備えることになるのか。
モシアハはトーラーを教える。
ユダヤの神秘の典拠は、しばしばモシェとモシアハの関係を探る。
最後の王は、初めのうち彼を見る術を知らぬ世に現れるかもしれない。
その叫びは、幼い意味での短気ではない。
第一の音。
ハザルは、「והריחו ביראת ה׳」をめぐる名高い解釈の伝えにおいて、モシアハが嗅ぎ分けによって裁くと興味深く語る。
繰り返すが、存在の次元でモシアハがアレフそのものだというのではない。
理想のモシアハは、人類が自分のところで止まることを望まない。
モシアハが世のダアト・ハシェムへの移りを担うのなら、その役は個人の報いではない。
最も高い権威が絶えず自らを示す必要はない、という思いには力がある。